
亀田大毅がフライ級世界戦直前に、メディアを前にして発した言葉が、「負けたら切腹」。それが、10月10日(水)の出来事でした。この一週間を振り返っています。ノリック阿部が不運にも、交通事故で亡くなったのが、その3日前の10月7日(日)夜の出来事だった。ノリックの父親もオートレーサーであった背景から、ノリックは5歳からポケバイに跨り、15歳でアメリカに渡りダートレース&モトクロス(基本的に土の上を走る)にてバランス感覚、タイヤのスリップ感を習得する。お互いに英才教育は、幼少時代より施されていた。
亀田大毅が18歳5ヶ月で世界戦に挑んだが、ノリック阿部は18歳にして日本ロードレース選手権で史上最年少チャンピョンとなり、500cc年間チャンピョンにも輝いている。今週、32歳の若さで亡くなったノリックの全盛期は、18歳(日本選手権終了後に、直ぐにWGP500へ参戦。共に18歳の時)で迎えた世界WGPレース参戦(鈴鹿)から加速することとなる。
ノリックの1994年WGPデビューは鮮烈。当時、4強と言われていたM.ドゥーハン、K.シュワンツらが活躍する鈴鹿でのデビュー戦で、彼らとトップ争いを演じる。あのM.ドゥーハンを鈴鹿のシケインで抜いたブレーキングは肝っ玉が座っていた。残り3ラップ時点で2位に立ったノリックだったが、ドゥーハンを抜いた後、直線のあとの第一コーナーで転倒。この転び方も半端じゃない。悔しい初戦だったろうが、2年後、その鈴鹿で日本人初のチェッカーフラッグを受けている。ノリックは、生涯でWGP3勝していて日本人では最多勝ち星のライダー。2000年の20世紀末の鈴鹿でも2度目のチェッカーを受けている。
なぜ、僕がノリックについて書こう!と思った理由として、直接握手することは無かったが、彼とは、1.00mまで接近した事があった。99年の東京モーターショーを見に行った僕は、疲れて、ステージ裏の喫茶店でタバコを吸っていた時に、ノリックは雑誌社の記事インタビューに答える形で、僕の前の席に座っていた。かわいい彼女を連れていて、その彼女も場が読めるセンスある女性で、彼の仕事を邪魔しまい!と喫茶店内の一番遠い席で、一人座って彼を眺めているようなシチュエーションだった。インタビューを終えたノリックは、その後、ファンにもみくちゃにされながら、サインや握手攻めに笑顔で対応していた。当時、僕は社会人2年目でヒヨコでしたが、ひとつ下にあたるノリックが、格好よく雑誌記者に対応している姿、笑顔でファンに答える姿が忘れられない。正直、感動した。僕とノリックの接点は、この時が最後だけど、友人の中にはノリックと一緒に仕事した人たちもいて、間接的にノリックのことを聞く場面はその後も頻繁にあった。
今回、彼が亡くなった後に、彼のホームページを訪れてみた。9月30日(日)に参戦した全日本GP(1000ccクラス)のコメントが最後の掲載となっている。 「自己ベストは更新できたが、もっと行けた!と思うと悔しい!」が、本当に本当の最後のコメントとなっている。もっと行けた!のコメントが、泣けてくる。そのホームページには、ファンからの投稿が相次いでおり、ぼーっと眺めてみると、非常に幅広い年齢層のファンが投稿していて、一般オバさんまでいる。ファンだから当然かもしれないけど、いつでも笑顔で対応してくれたノリックの姿を悲しんでいるコメントが多い。自分が10年前に東京モーターショーで見たノリックの姿は、彼の本姓だったんだあぁ~って改めて感動するきっかけとなった。
交通事故は怖いなぁ~、ノリックのいないGPは悲しいなぁ~、人間の人生ってのはこういうものかなぁ~って思えてならない。ノリックの死はショックだったけど、僕は悲しまない!だって、ノリック魂は、僕含め多くのファンの中に宿っているし、ノリックが最後に残したメッセージ「もっと行けた!」は、僕たちのエンジンに供給されるガソリンの如く、燃焼を助長させてくれる。ノリックに感謝しつつ、だから、 「俺は、もっと行く!更にアクセル回す!」ってノリックに誓うことで、悲しさは紛れるかな?
久しぶりにブログを書きながら泣けてきちゃった。熱いよね。Norickの雑誌等に掲載される写真は、ヘルメットから見える彼の眼をアップにしたものが多い。それだけ彼の眼力はアピールポイントであったし、今、思うと、彼は何を見ていたのかな?って想像するしかないけど、それが何かは分かるような気もする。どうしよう? 94年デビュー戦で見せた鈴鹿シケインでのM.ドゥーハンを交わしたシーンがノリック魂であり、それをイメージすると涙が止まらない。本当に、最速で駆け抜けた人生だったなぁ~、ノリック! Good Night, Forever!!!
YouTube映像=Norick debut in Suzuka ‘94
亀田大毅が18歳5ヶ月で世界戦に挑んだが、ノリック阿部は18歳にして日本ロードレース選手権で史上最年少チャンピョンとなり、500cc年間チャンピョンにも輝いている。今週、32歳の若さで亡くなったノリックの全盛期は、18歳(日本選手権終了後に、直ぐにWGP500へ参戦。共に18歳の時)で迎えた世界WGPレース参戦(鈴鹿)から加速することとなる。
ノリックの1994年WGPデビューは鮮烈。当時、4強と言われていたM.ドゥーハン、K.シュワンツらが活躍する鈴鹿でのデビュー戦で、彼らとトップ争いを演じる。あのM.ドゥーハンを鈴鹿のシケインで抜いたブレーキングは肝っ玉が座っていた。残り3ラップ時点で2位に立ったノリックだったが、ドゥーハンを抜いた後、直線のあとの第一コーナーで転倒。この転び方も半端じゃない。悔しい初戦だったろうが、2年後、その鈴鹿で日本人初のチェッカーフラッグを受けている。ノリックは、生涯でWGP3勝していて日本人では最多勝ち星のライダー。2000年の20世紀末の鈴鹿でも2度目のチェッカーを受けている。
なぜ、僕がノリックについて書こう!と思った理由として、直接握手することは無かったが、彼とは、1.00mまで接近した事があった。99年の東京モーターショーを見に行った僕は、疲れて、ステージ裏の喫茶店でタバコを吸っていた時に、ノリックは雑誌社の記事インタビューに答える形で、僕の前の席に座っていた。かわいい彼女を連れていて、その彼女も場が読めるセンスある女性で、彼の仕事を邪魔しまい!と喫茶店内の一番遠い席で、一人座って彼を眺めているようなシチュエーションだった。インタビューを終えたノリックは、その後、ファンにもみくちゃにされながら、サインや握手攻めに笑顔で対応していた。当時、僕は社会人2年目でヒヨコでしたが、ひとつ下にあたるノリックが、格好よく雑誌記者に対応している姿、笑顔でファンに答える姿が忘れられない。正直、感動した。僕とノリックの接点は、この時が最後だけど、友人の中にはノリックと一緒に仕事した人たちもいて、間接的にノリックのことを聞く場面はその後も頻繁にあった。
今回、彼が亡くなった後に、彼のホームページを訪れてみた。9月30日(日)に参戦した全日本GP(1000ccクラス)のコメントが最後の掲載となっている。 「自己ベストは更新できたが、もっと行けた!と思うと悔しい!」が、本当に本当の最後のコメントとなっている。もっと行けた!のコメントが、泣けてくる。そのホームページには、ファンからの投稿が相次いでおり、ぼーっと眺めてみると、非常に幅広い年齢層のファンが投稿していて、一般オバさんまでいる。ファンだから当然かもしれないけど、いつでも笑顔で対応してくれたノリックの姿を悲しんでいるコメントが多い。自分が10年前に東京モーターショーで見たノリックの姿は、彼の本姓だったんだあぁ~って改めて感動するきっかけとなった。
交通事故は怖いなぁ~、ノリックのいないGPは悲しいなぁ~、人間の人生ってのはこういうものかなぁ~って思えてならない。ノリックの死はショックだったけど、僕は悲しまない!だって、ノリック魂は、僕含め多くのファンの中に宿っているし、ノリックが最後に残したメッセージ「もっと行けた!」は、僕たちのエンジンに供給されるガソリンの如く、燃焼を助長させてくれる。ノリックに感謝しつつ、だから、 「俺は、もっと行く!更にアクセル回す!」ってノリックに誓うことで、悲しさは紛れるかな?
久しぶりにブログを書きながら泣けてきちゃった。熱いよね。Norickの雑誌等に掲載される写真は、ヘルメットから見える彼の眼をアップにしたものが多い。それだけ彼の眼力はアピールポイントであったし、今、思うと、彼は何を見ていたのかな?って想像するしかないけど、それが何かは分かるような気もする。どうしよう? 94年デビュー戦で見せた鈴鹿シケインでのM.ドゥーハンを交わしたシーンがノリック魂であり、それをイメージすると涙が止まらない。本当に、最速で駆け抜けた人生だったなぁ~、ノリック! Good Night, Forever!!!
YouTube映像=Norick debut in Suzuka ‘94
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